アマビエの由来は?京都大学附属図書館所蔵の弘化3年の瓦版1枚だけ、アマビコの誤記説、三本足の猿の姿など予言獣を読む5つのポイント

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アマビエと聞くと、コロナ禍にSNSを埋めつくした、長い髪にくちばしの妖怪を思い出す人が多いと思います。けれど、「江戸時代から疫病よけとして信じられてきた妖怪」というイメージがどこまで本当なのかは、意外と知られていません。Xでも「アマビコっていう妖怪もいて、実はアマビコの誤記がアマビエなんじゃないか説がある」という投稿(Xの投稿)や、湯本豪一さんの本を読んで「アマビエの資料は一点しかなく、アマビコの誤記だという説に驚いた」という感想が見られました(Xの投稿)。

この記事では、アマビエの由来をたどります。

目次

アマビエは何に書かれている? 1枚の瓦版を読む

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まずは、アマビエの「出どころ」そのものを見ていきます。アマビエについて、名前と姿の両方を伝える資料は、実はたった1枚の刷り物です。

原本は京都大学附属図書館の「肥後国海中の怪」

アマビエの絵と文が載っているのは、京都大学附属図書館が所蔵する『肥後国海中の怪(アマビエの図)』です。京都大学貴重資料デジタルアーカイブの解説によると、この資料は昭和16年から17年にかけて、元大阪新聞社記者の中神利人氏から購入した新聞とその類縁資料のうちの1点で、受け入れは昭和17年(1942年)5月30日でした。この原本は、2020年には兵庫県でも公開される予定でした。香川さんのカドブンの解説によると、香川さんが勤める兵庫県立歴史博物館で2020年4月25日から開かれる予定だった特別展「驚異と怪異―モンスターたちは告げる―」で展示することが、半年も前に決まっていたそうです。アマビエが話題になった時期と重なったのは「偶然でしかない」と書かれていました。大きさは実測で上辺28.9cm、下辺28.4cm、左辺23.0cm、右辺22.6cmと書かれていて、A4用紙とほぼ同じくらいの紙1枚です。

同じページに載っている翻刻の例は、次のとおりです。

  • 肥後国海中江毎夜光物出ル 所之役人行見るニ づの如之者現ス
  • 私ハ海中ニ住アマビヱト申者也
  • 當年より六ヶ年之間 諸国豊作也 併 病流行 早々私ヲ写シ人々ニ見セ候得と申て海中へ入けり
  • 右ハ写シ役人より江戸江申来ル写也 弘化三年四月中旬

現代の言葉にすると、「肥後国(今の熊本県)の海に毎晩光るものが出るので、役人が見に行くと、図のような者が現れた。『私は海の中に住むアマビエという者だ。今年から6年の間、諸国は豊作だが、病も流行する。早く私の姿を写して人々に見せよ』と言って海に入っていった。この絵は役人が写して江戸に知らせてきたものの写しである」という内容になります。名前の表記は「アマビヱ」で、「ヱ」は「エ」の古い書き方です。

日付の「弘化三年四月中旬」は西暦でいうと1846年にあたり、ウィキペディアの記事は旧暦の弘化3年4月15日が1846年5月10日に相当すると注記しています。講談社の学術文庫&選書メチエ編集部の記事によると、この瓦版は1960年に刊行された小野秀雄の『かわら版物語』でも紹介されていて、妖怪展で展示されるようになってから多くの人の目にふれるようになったそうです。

どんな種類の刷り物なのかについては、福井県文書館が2020年8月のミニ展示で、字も図も彫りが稚拙で、都市部で売られた「かわら版」の特徴を備えていると説明していました。つまり、熊本で役人が残した公式の記録ではなく、江戸などの町で売られた読み物の一枚と見るのが自然だということです。福井県文書館はこのとき、京都大学附属図書館の原本ではなく複製を展示し、「アマビヱを描いた唯一の資料」と紹介していました。展示の題は「アマビヱよ、君はいったい何者だ?」で、福井県に伝わる江戸時代のアマビコ資料と並べて、違いを見比べる内容でした。

書かれているのは予言と「写して見せよ」だけ

この1枚をよく読むと、今のイメージとの違いが見えてきます。アマビエが告げたのは「6年の豊作」と「病の流行」、そして「早く私の姿を写して人々に見せよ」の3点です。福井県文書館の解説は、写して広めるとどうなるのか、その効能まではこの資料では明らかにされていないと指摘しています。長野栄俊さんも福井の情報サイト「ふーぽ」への寄稿で、アマビエは「姿を写して人々に見せよ」とは告げるものの、その御利益は明言していないと書いていました。「疫病退散にご利益がある」という話は、この瓦版には直接は書かれていないのです。

予言の期間にも、読み方の違いがありました。ウィキペディアの記事の注によると、2000年に出た村上氏の文献では「当年より六ヶ月」と読まれていましたが、長野さんの2005年の論文には全文が載っていて「當年より六ヶ年」と読まれており、「六ヶ月」は誤記載だとされています。京都大学の翻刻例も「六ヶ年之間」なので、「半年」ではなく「6年」と覚えておくのが正確です。くずし字の資料は、一文字の読み違いで意味が大きく変わることがよくわかる例でした。

姿についても確かめておきましょう。絵の左側には、髪の長い姿が描かれています。長野さんの寄稿では、長髪にくちばし、体にうろこ、3本の足(ヒレかもしれない)という異形だと説明されています。香川雅信さんはKADOKAWAの「カドブン」に寄せた解説で、一見すると髪の長い人魚のようでいて、鳥のようなくちばし状の口があり、目や耳は菱形で、まるで「ウルトラマン」に登場する怪獣のようなデザインだと書いていました。

では、熊本にはアマビエの言い伝えが残っているのでしょうか。ウィキペディアの記事は、アマビエについての記録は上の1種類の瓦版でしか確認されておらず、熊本県にそのような目撃譚や伝説が伝わってきた事実も確認されていない、と記しています。香川さんも、アマビエの名前を伝える資料は京都大学附属図書館所蔵の摺物1点のみだとしています。

さらに長野さんは、2021年2月3日の中日新聞の記事で、アマビエは江戸時代の瓦版屋が瓦版を売るために創作した妖怪と考えるのが妥当だと話しています(記事の続きは会員限定のため、ここでは冒頭の発言だけを紹介します)。2024年2月12日の中日新聞(日刊県民福井)の記事では、この考えがもう少しくわしく紹介されています。長野さんによると、予言獣の多くは江戸時代から明治時代にかけての庶民向けの刷り物である瓦版の上で生まれ、「家に張れば疫病よけの効果がある」などとうたって買う気をあおるために作られたと考えられています。実際に何かが現れたことを報じたものではなく、遊びの要素さえ含まれていたそうです。「昔から熊本で語り継がれた伝承」というより、「江戸後期の町で売られた一枚の刷り物に載った話」と受け止めておくのが、今の研究に近い見方だといえそうです。

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アマビエがたった1枚の資料にしか出てこないのに対して、よく似た話はほかにいくつも残っています。ここでは、名前がそっくりな「アマビコ」と、ほかの「予言獣」を見ていきます。

アマビコの資料は十数例。「コ」を「エ」と書き誤ったという説

アマビコは、海から現れて豊作と病の流行を予言し、自分の姿を写すよう告げる妖怪です。長野栄俊さんは十数例のアマビコ資料を確認しているそうで、ふーぽの寄稿では次のように整理しています。

  • 表記は「あま彦」「海彦」「尼彦」「雨彦」「天彦」「阿磨比古」などさまざま
  • 姿は、うまい下手はあるものの「三本足の猿」の形が多い
  • どれも豊作と病の流行、そのために人の6〜7割が死ぬことを予言し、姿を「書き見る」人は無病長寿になると告げている
  • 最も古い資料は、天保14年(1843年)9月ごろに名古屋で書き留められた「あま彦」で、アマビエより約3年早い
  • 越前(福井県)にも天保15年(1844年)の年紀を持つ資料が2例ある。名古屋には備後(広島県)から情報が届いたとされ、半年ほどで越前まで伝わった

ここから長野さんは、アマビエは先にあったアマビコの「コ」の字を「ヱ(エ)」と書き誤ったか、意図的に変えた亜種と推測しています。この誤記説を最初に示したのは湯本豪一さんで、ウィキペディアの記事によると1999年の『明治妖怪新聞』のコラムがその最初期の言及だそうです。安城市図書情報館がレファレンス協同データベースに登録した事例でも、湯本さんの『日本幻獣図説』をもとに、本来は「アマビコ」で、転写した人が「コ」を「エ」と書き写した、と説明されていました。

一方で、見た目の違いにも注意が必要です。福井県文書館の展示では、大正時代の百科事典『広文庫』に立項された天保14年の「あまびこ」が「怪鳥」として、鳥のようなくちばしを持つ3本足の姿で描かれていると紹介しています。ウィキペディアの記事のまとめでは、長野さんはアマビエをアマビコの一例とみる考えも示しつつ、人魚のような容姿をしたアマビエはアマビコと「外見上の類似性は高くない」と結論づけたとのことでした。香川さんは、もとは3本足の猿の姿だったものが描き写されるうちに人魚のような姿になったと推測しています。名前は誤記説が有力、姿の変化についてはまだ見方が分かれている、と整理しておくとよいでしょう。

福井県文書館の2020年8月の展示によると、福井県には江戸時代のアマビコ資料が3種伝わっています。展示された『越前国主記』の「海彦(アマヒコ)」は、足羽郡種池村(今の福井市)の豪農・坪川家で書き写されたもので、天保15年の年紀はあるものの、写した時期はわかっていません。同家の人は筆まめで、ほかにも多くのものを書き写しているため、「絵姿を見た者は死を逃れられる」という文言を信じ込んで写したとは限らない、と解説されていました。香川さんはカドブンの解説で、京都大学のアマビエの摺物を「伝言ゲームの最終段階」と言うべきものだと表現しています。長野さんの寄稿によると、アマビコ自身も「姿を写して諸国に早々に触れ回れ」と告げていて、その言葉どおりに全国へ広まっていったようです。

神社姫など、くり返された予言獣の流行

香川雅信さんは、妖怪が病の流行を予言し、その絵姿を見ることで病から逃れられるという話は江戸時代にたびたび見られ、一種の定型化した伝承だったと説明しています。挙げられている例を、年代順に並べてみます。

  • 文政2年(1819年):肥前国(佐賀県・長崎県)の浜辺に、竜宮からの使いという「神社姫」が現れ、今年から7年は豊作だが「コロリ」という病が流行する、逃れるには姿を絵に写して人に見せよと告げた。美女の顔に竜の胴体、剣の尾を持つ姿で描かれ、のちに人魚とされた
  • 文政10〜12年(1827〜29年)ごろ:越中国(富山県)の立山に「クダベ」が現れ、4、5年のうちに名もない病で大勢が死ぬが、姿を描いた絵を見る者は難を逃れると告げた。「クダベ」は「件(クダン)」の写し間違いとされる
  • 件:人の顔をした牛で、生まれてすぐ人の言葉で予言を残して死に、その予言は必ず当たるという伝承が西日本にあった

香川さんによると、文政2年の「コロリ」は、まだ日本にコレラが入ってくる前なので、別の病気(おそらく赤痢)と考えられるそうです。カドブンの解説には、この神社姫を描いた資料として、国立歴史民俗博物館が所蔵する「肥前国平戸において姫魚龍宮より御使なり」の図も載っています。

こうした妖怪をまとめて呼ぶ「予言獣」という言葉は、意外に新しいものです。2024年2月の中日新聞の記事によると、海などから現れて豊作や疫病の流行を予言する妖怪の総称で、長野さんの調べでは、言葉としての使用は1980年までしかさかのぼれず、2000年代に湯本豪一さんが初めて研究の対象として取り上げたそうです。長野さんたち4人が2023年末に出した『予言獣大図鑑』は、「神社姫・姫魚」系、「件」系、「くたべ」系、「アマビコ」系など12の系統に分けて、計154点を収めています。

アマビコの流行もこの流れの中にあります。長野さんの寄稿によると、安政5年(1858年)のコロリ流行のときには、コレラよけの摺物として「猿に似たる三本足の怪獣」の絵姿が江戸の町で売り歩かれ、明治15年(1882年)にも東京の絵草紙屋で「三本足の猿の像」がコレラ病よけのお守りとして売られました。長野さんはどちらもアマビコだろうとし、天保・安政・明治と少なくとも3度流行したアマビコ(アマビエ)は、新聞というマスメディアの登場と入れ替わるように流行が終わり、その後長く忘れられたと書いています。

当時の人がこうした絵を書き写した理由として、長野さんは2つを挙げています。一つは、珍しい獣の姿を「見る」と災いを除いて福を招くと考える心性で、舶来の象やラクダ、人魚を描いた摺物が護符の役目も持っていたこと。もう一つは、地方の豪農や村の知識人が、政治や災害の情報を得るために風説を盛んに書き写していたことです。今も全国各地に、当時の情報を書き留めた「風説留」が残っていて、その中に予言獣の姿も書き留められているそうです。長野さんは、姿を「見る」「書き写す」というお告げが、19世紀初めから明治の初めにかけての人々の考え方や行動の仕方に合っていたからこそ、予言する妖怪がこの時期に限ってさまざまに形を変えて流行したと見ています。御利益を信じ込んだのではなく、珍しい話を面白がって書き留めただけの可能性もあるそうです。

今アマビエをたどるなら:2020年の流行と、原本を見る方法

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最後に、アマビエがどうして今これほど知られているのかと、原本の画像を自分の目で確かめる方法をまとめます。

2020年のアマビエチャレンジと、厚生労働省の啓発アイコン

アマビエが一気に広まったのは2020年です。ウィキペディアの記事によると、2020年2月27日に妖怪掛け軸専門店「大蛇堂」が、アマビエの解説とイラストをTwitter(現X)に投稿し、「アマビエ」「アマビエチャレンジ」などのハッシュタグで、自分なりのアマビエを描いて投稿する動きが広がりました。アマビエはこの年の新語・流行語大賞でトップ10に入りました。もっとも、それ以前にまったく無名だったわけではありません。香川さんの解説によると、アマビエは妖怪好きのあいだでは比較的よく知られていて、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』の第5期にも登場していました。

国も取り入れました。厚生労働省の新型コロナウイルス感染症のページには、「若者の皆様へ」として、疫病から人々を守るとされる妖怪「アマビエ」をモチーフに、若い人を対象にした啓発アイコンを作成したと書かれています。キャッチコピーは「知らないうちに、拡めちゃうから。」で、ロゴは家庭や学校、職場で自由に使ってよいとされ、「あなたのアマビエをご自由にお描きください」という塗り絵も用意されていました。

ここで、瓦版の文と並べてみると面白いことに気づきます。もとの瓦版には病をしずめる効能は書かれていませんでしたが、2020年には「疫病から人々を守るとされる妖怪」として紹介されるようになりました。香川さんも、もとの姿からかけ離れたデザインが今の人の関心を惹いたのなら、それは「劣化」ではなく「進化」と言うべきだろう、と書いています。ただし香川さんは同じ解説で、アマビエの絵姿で病を避けることはできないとはっきり書いています。それでも妖怪の伝承で遊ぶことで、閉塞した空気を少しでも変えられるのではないか、そうした「心のゆとり」が今こそ求められている、という受け止め方でした。2024年の中日新聞の記事によると、長野さんは2020年3月にコラムを書いたあと、3か月で40〜50件の取材依頼を受けましたが、「予言獣は瓦版の制作者が売り上げ増を狙って創作したもの」というコメントは、大半のメディアで使われなかったそうです。

ウィキペディアの記事によると、2020年4月ごろからは、護符や御朱印の印判にアマビエを使う寺社も各地に見られるようになりました。また、2020年6月には複数の会社による「アマビエ」の文字商標の出願が判明し、広告会社の電通は7月6日に取り下げ、ほかの出願も9月までに登録を拒絶されたそうです。誰のものでもない妖怪として広まったことがうかがえます。

デジタルアーカイブで原本を見る手順と決まり

アマビエの原本は、画像なら自宅からでも見られるのです。京都大学貴重資料デジタルアーカイブで「新聞文庫・絵」(レコードID RB00000122)を開くと、合綴されている資料の中に「肥後国海中の怪(アマビエの図)」があります。アーカイブのページには参考資料として湯本豪一編『明治妖怪新聞』(柏書房、1999年)が「84コマ目『肥後国海中の怪(アマビエの図)』」という注記つきで挙がっていて、画像はビューアーで拡大すれば彫りの線や文字まで細かく見られます。ページからは、くずし字を読む市民参加型のプロジェクト「みんなで翻刻」へのリンクもあり、Xでも、AIを使ってアマビエの古文書をスタジオで解読したという番組の告知が流れていました(Xの投稿)。

この画像は、京都大学図書館機構が作ったオープンアクセスデータで、条件を守れば誰でも自由に使えます。解説ページの条件をまとめると、次のとおりです。

  • タイトルと原資料の所蔵館を書く。記載例は「『肥後国海中の怪(アマビエの図)』(京都大学附属図書館所蔵)」
  • ウェブサイトなどに載せるときは、掲載ページの中にアーカイブへのリンクを入れる
  • 画像を改変したときは、改変した旨も書く
  • 出版・放送・ウェブ掲載・商品販売などではない個人の私的な利用なら、タイトルと所蔵館の表示はいらない
  • デザインを損なう場合は、包装パッケージや紹介ウェブサイトなどに書いてもよい(例:バッジなら包装、放送なら映像の最後)

ブログや自由研究にアマビエの絵を使いたいときは、この決まりを守っておけば安心でしょう。

画像のダウンロードも、解説ページに手順が書かれています。案内されているURLを開くと画像だけがブラウザに表示されるので、右クリックで保存する流れです。アーカイブの二次利用のページによると、ダウンロードできる画像は最大辺が2000ピクセルのJPEGに変換されていて、元の大きさの画像がほしい場合は京都大学附属図書館に問い合わせることになっています。英語での表記例「Photograph courtesy of the Main Library, Kyoto University – Amabie」も示されていました。使ったあとの利用報告は任意ですが、学術論文などに載せた場合は成果物を提出してほしい(義務ではない)とされています。

もっと深く知りたいときは、本や論文にあたるのが近道です。レファレンス協同データベースの事例が挙げている湯本豪一『日本幻獣図説』(河出書房新社、2005年)、国立国会図書館サーチで確認できる長野栄俊「予言獣アマビコ考―『海彦』をてがかりに」(『若越郷土研究』49巻2号、2005年、1〜30ページ)、長野さんが参考文献に挙げている常光徹『予言する妖怪』(歴史民俗博物館振興会、2016年)などがあります。長野栄俊・峰守ひろかず・笹方政紀さんらによる『予言獣大図鑑』は、予言獣の絵に添えられたくずし字をすべて活字にしていて、2024年の記事ではA5判344ページ、2,200円(税別)と紹介されていました。神社姫や「件獣乃写真」の資料は、湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)の所蔵品として香川さんの解説に登場していて、実物の展示を見たい人は、このブログの「三次もののけミュージアムを楽しむ見方は?」も参考にしてください。

三次もののけミュージアムを楽しむ見方は?稲生物怪録の絵巻と妖怪資料、現代の絵本をつなぐ鑑賞ガイド

展示の内容や時期は変わるので、行く前には館の公式サイトで確かめておくと安心です。

アマビエの由来、5つのポイントをおさらい

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最後に、この記事の要点をまとめます。

  • アマビエの名前と姿を伝える資料は、京都大学附属図書館所蔵の「肥後国海中の怪」1枚だけ。日付は弘化3年(1846年)4月中旬
  • 瓦版が伝えるのは「6年の豊作」「病の流行」「姿を写して見せよ」の3点で、病をしずめる効能は書かれていない
  • 同じ型の「アマビコ」の資料は十数例あり、最古は天保14年(1843年)。アマビエは「コ」を「エ」と書き誤った亜種という説が有力
  • 神社姫、クダベ、件など、「姿を見れば病を逃れる」予言獣の話は江戸後期から明治にかけて繰り返し流行した
  • 原本の画像は京都大学貴重資料デジタルアーカイブで誰でも見られ、タイトルと所蔵館の表示などの条件を守れば使える

アマビエの絵を描いたことがある人も、一度原本の画像を拡大して、彫りの線や文字を見てみてください。描いた絵とのちがいを探すだけでも、江戸の町で一枚の瓦版を手に取った人の気分を少し味わえるはずです。

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この記事を書いた人

各地の伝承や史跡を資料と現地案内から調べ、地域文化として紹介する編集部です。

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